田舎で暮らすということ

田舎と都会。

はたしてどう違うのか。

自分は田舎にずっと住んでいて、ちかごろ都会に暮らし始めたところ。

そこで感じたものを綴ってみようと思う。

 

都会にあるものは、便利さ。

とにかく便利。時間がかからない。

なにか買い物しようとするといつでも行ける。コンビニも多い。

なにかの手続きとかも楽。

モノやサービスへのアクセスがとにかく容易だ。

 

田舎にあるものはなにか。

自然、コミュニティ、ゆとり。

そんなものだろうか。

 

近頃、田舎暮らしをする人、したい人が増えてきているように感じる。

自分が住んでた片田舎にも移住者が増加しているようだ。

田舎で育った自分としては、子どもの教育に関してネックがあるかなあ、と感じている。

いわゆる偏差値至上主義の世の中を生きる上で、お勉強をきちんと教えられる学校があるかどうか。

田舎だと、塾通いもしにくいし、不良やヤンキーもいるし、全体的に(偏差値至上主義的な)教育レベルは高くはない。

しかし、自然に恵まれていて遊び場はたくさんあり、自分であそびや楽しさを生み出せる能力は高まる。

感性豊かな子に育つ、という側面はあるかもしれない。

 

大事になるのは、果たして自分の子どもがどう育って欲しいか、だろう。

勉強して優秀な成績を収めて東大に行かせたいと本気で思うか。

成績はぼちぼちでいいから、人格的に素敵な人間に育って欲しいと思うか。

 

前者の場合は都会に住み、成績がいい子たちが通う学校に通わせるべきだ。

環境が人を作るとはよく言ったもので、みんなが東大に行くような学校に行っていれば情報や良いやり方が集まり、結果的に東大に行ける確率は格段に高まる。

本人の努力もあるが、環境の力は大きい。

 

後者の場合、どうすればいいのか。

実際に移住してきた人に話しを聞いてみた。

technique(知識、実務的技術), ethics(倫理感), art(芸術的感受性)が人間には必要だ。

techniqueに関しては、都会のほうが強いがそればかりに頼る時代はあと30年後には成り立たなくなっている可能性がある。

ethics(倫理観)に関しては人とのかかわり合い、いわゆるコミュニティの力で培われる。

art(芸術的感性)に関しては自然の中で遊んだり暮らしたりすることで育まれるだろう、と。

ethics, artは田舎暮らしのほうが都会に比べて秀でている、だから田舎で子育てがしたいのだ、ということらしい。

 

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自分の疑問は、本当にそうか、ということだ。

非常にもっともらしく聞こえている。

しかし、それは都会に育った人が理想を掲げて説明しているだけではないだろうか。

自分は田舎で生まれ、田舎で育った。

しかし、自分は都会で育った人に比べて倫理観や芸術的感性に優れているかと聞かれても、そうだと言えるかは疑問が残る。

自分以外でも、田舎で生まれ育った友だちたちみんなが、都会で育った人にくらべて倫理観や芸術的感性に優れていただろうか。

それは隣の芝は青い理論というか、ただの理想ではないだろうか。

都会でもそれは可能ではないのだろうか。

もし田舎で倫理観や芸術的感性が育まれやすいとして、田舎で育ったので感性が育まれたひとと田舎で育ったのに感性が育まれなかった人の差はどこで生まれてくるのだろうか。

 

ヤンキーや不良がある一定数存在するのは田舎でも都会でもさほど変わらないようだ。

グレてほしくない、という願いで都会や田舎を選ぶのはそんなに理にかなった判断とは言えないかもしれない。

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多少の不便さは、気にするほどでもない。

通販でどうにでもなる時代だ。

田舎は田舎なりに過ごし方があるし、そこに住んでる人がいるのなら住めるということだ。

 

 

とにかく右肩上がりの成長を目指すのだ、都会になるんだ、経済的に成長するのだ、という考え方はもう破綻する。

すでに破綻しているかもしれない。

そんななか、これからどういう暮らしをしようか。

どこに住もうか。

考えていきたいことだ。

 

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