人格的成熟度、というものについて
近頃、日本の大企業において人材を選ぶ際に、学力レベルや能力レベルが同じなら日本人よりも外国人を選ぶ傾向があるようだ。
理由は、日本人は外国人に比べて人格的成熟度が低いから、らしい。
これは割と日本に特異的な問題なのかもしれない。
確かに海外旅行をする際にも、現地の人や同じ宿に泊った旅行者たちと話していて、普通に社会情勢や政治の話が出てくるし、フクシマは大丈夫なのか、とかも聞いてくる。
なかなか日本ではそんな話をしない。特に初対面の人に対しては。
なぜ、人格的成熟度が日本は低い傾向にあるのか。
理由を考えてみた。
まず、どうしたら人格的成熟度が高まるのか。
自分が思うに、(社会や政治などの)正解のないことに対してはっきり意見を言えることが大事なのではないだろうか。
日本人はなかなか正解のない問いに対して話し合う機会が少ないように思う。
将来どうしたいのか、どんなことを普段考えているのか。
などなど。
そういうことを話すのには訓練がいる。
自分が何を考えているか、何を感じているかを理解していないといけないし、そういった意見を発言できる風潮や空気がが必要だろう。
そういう空気を生み出しにくい要素として、日本語の敬語や年長者尊敬(崇拝?笑)の精神が若干邪魔をしているように思う。
文化の違いと言ってしまえばそれまでだが。
-------------------------
アメリカを例に上げる。
アメリカは年齢という要素の重要度が日本に比べてかなり低い。
年齢を気にしていない。
終身雇用などないし、どんどん皆が転職しキャリアを変えていくので、年上の部下ができることや年下の上司がいることが当然のように起こりえるし、誰もそれを気にしない。
年齢を理由に管理職になるにはまだ早い、なんて言うのは理にかなっていないと考える社会だ。
能力さえあれば年齢は不問だという空気。むしろ年齢は不問だ、ということを言うのさえおかしい雰囲気がある。
brotherやsisterという単語をとっても、日本語の兄弟や姉妹のように年齢の上下をあらわすことばを使わないのがわかる。
また、日本のように敬語が厳格ではないのもあるかもしれない。
丁寧に話したいときはそれなりの話し方があるが、日本語ほど重要視されていない。
非常にフランクに話せる。
旅行中でもそういったことを感じる。
同じ宿に泊まった人たちと気軽に話をして、言いたいことを言う。
だれもその言葉遣いなんて気にしていない。
-------------------------
そのことによって、年上のひとにものを言いにくいとか、意見を良いにくいということが少ないのかもしれない。
どんな年齢でも、おたがいに一人の人間同士として意見を交わし合う。
確かに18歳と60歳ではものの見え方や経験が違うからそれは立場のちがう意見として話すことはあるだろうけれど、例えば30歳と35歳だったとしてそこには言葉遣いの差も発言力の差もないだろう。
そういう空気も人格的成熟度に関与するだろうし、若くして成熟した人間になるための経験や責任ある仕事を任されるのかもしれない。
これからはもっと正解のないことについて話しあったり意見を交わす風習や機会が必要かもしれない。
今の日本では飲み屋で酔いちくれた人たちぐらいしかそういうことを話していないかもしれない。