「お金で幸せを買う5つの授業」を読んで
お金で幸せを買う5つの授業という本を読んだ。
いくら金を持ってても、使い方次第では幸せになれない。
東京に行った友達が年末に久しぶりに地元に帰ってきてて、会って話をした。
一流企業のエリートサラリーマンになってて、バリバリ働いているようだ。
なかなか大変そうだが、とても大きな仕事をしているようで、元気そうでなによりだ。
ただ、変わってしまったなーと感じるところが一点。
お金に関する見え方や考え方だ。
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東京では、年収やら貯金額というものがかなりの指標となるらしい。
それで人間としての良し悪しが決まってしまう、ほどの印象を受けるぐらい。
接待交際費がすさまじい額かかっているとか、上司はドンペリでシャンパンタワーしてたから自分もやってみたいだとか。
そうなんやなあーと。
どうも、そのお金の使い方が幸せを生んでいるようには感じられなかった。
「人と比べて」金を持っている、とか
「人と比べて」貯金額がある、とか
評価基準が、すべて外部にある感じ。
自分がどうしたいか、自分がどういう生活をするためにどの程度のお金がいるか、とか
そういった感じではなかった。
もう少し自己に目を向けたらいいんじゃないかなあと感じたり。
まあトーキョー人たちからすれば、自分たちのほうこそ成長意欲を失った貧乏人に見えるのかな。
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さて、では幸せになるには金が必要なのだろうか。
どうしたらより幸せになるお金の使い方ができるだろうか。
そういうことをもやもや考えているときに出会った本がこちら。
お金で幸せを買う5つの授業。
5つの授業のまとめとしては、
1.経験を買う
2.ご褒美にする
3.時間を買う
4.先に支払って、後で消費する
5.他人に投資する
の5つのうち3以外はしっかりカバーされたお金の使い方となり、ただいつもの弁当を買うよりも断然幸福度が高そうだ。
こうしたことの積み重ねでどんどん幸せを感じていくのだろう。
お金で、幸福そのものを買うことはできないが、不便や不幸ごとは回避できる。
また、使い方次第で幸福度をあげることができる。
そこには金があればあるだけよい、というものではなく、お金を使う側の思慮と意志決定によりコントロール可能なものだという事実があるようだ。
良書でした。
子育て経営学を読んで
子育て経営学という本を読んだ。
経営学、というタイトルながら特に経営学の話はなく、経営者10人の子育てに関する考え方や実際のスタイルがふんだんに紹介されている。
感じたことは、経営者というのはやはり忙しいのだなあということだ。
普段の生活の時間のグラフも載せてある。
子ども好きといわれる経営者たちが、限界まで工夫と対策を行っている結果の時間の使い方だろうから、これ以上時間を作るのは厳しいのだろうと。
それと同時に、自分はここまで時間を作りきれないのではないか、とも思った。
相当の努力と、多少の妥協と、金を使って時間と手間を省く考え方が非常に勉強になった。
家事代行サービスの使用は我が家も検討しよう。
その他、デジタルデバイスやゲームへの考え方等も、人によりけりだなあと感じた。
結局、自分の考えや信ずるものを行うしかないのだ。
子育てというものには正解はない。
その家庭が、子どもにどのような人生を歩ませたいか、その手伝いをしたいか、だと思う。
子育てに関するビジョンや方針のミーティングなんかも必須だよなあと。
ほんとに子育てと経営というのは近いものがありそうだと感じた。
子育て経営学、おすすめですよ。
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すいません、ほぼ日の経営。を読んで
すいません、ほぼ日の経営を読んだ。
自分は将来経営をやりたいと考えている。
おそらく数年以内にそういう時期がくる。
少しずつ、経営というものについて考えていかなくては、と思っているところ、気になっていたほぼ日の経営についての本が出版されたので読んでみた。
ほぼ日と事業
ほぼ日と人
ほぼ日と組織
ほぼ日と上場
ほぼ日と社長
の5章からなるシンプルな構成だ。
全体として感じたのは、自立した個人たちが集まって楽しそうに働く会社を目指している、ということだ。
いわゆる、社長を頂点にして、縦割りの明快な組織図ではなく、大事な意思決定や方向性を示すためのリーダーがいて、あとは仲間たちが自律的にチームを作り、各々が責任を持って働くという組織を目指すのだ、ということだ。
組織にやらされ感あふれる人材やフリーライダーに居場所がなく、自分が自分に対して、そして仲間に対してリーダーシップを持っていることが大事な会社なのだと感じた。
きちんと具現化できれば強くエネルギッシュな組織になるだろうと感じたし、周りから見てて楽しそうに働く人が多いのではと思う。
社員(ほぼ日的には乗組員)が、自分が何をしたいか感じ、考え、行動し、面白いものを生み出そうと努力しリーダーシップを発揮する。
すごく面白いだろうが非常にハードルが高そう笑
それを作ってきた会社だと思うと相当な努力が必要そうだ。
しかし強くしなやかな組織だと思う。
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自分はどういう組織を作りたいだろうか。
いわゆる受け身なフリーライダーの居場所は無い組織を作りたいのだろうか。
自分の人生に責任を持ち当事者意識をもって生きることは非常に大事だと思う。
そういった感覚を与えられる経営者になるのはたしかにやりがいがありそうだ。
どういった組織を作ろうか、目指そうか。
少しずつ思考を積み上げていこう。
「世の中の真実がわかる!明朗会計学入門」を読んで
この本を読んだ。
○感想○
会計って知ってたらやっぱり得するよなあと。
知識があるだけで、世の中のお金の動きが見えるし、企業の体質が見える。
実際にバランスシートを読む訓練もこの書籍でできるので、実際の他の企業のバランスシートを自分で引っ張ってきて読みたくなる構成が面白かった。
ただ、この本を読んで会計の知識を得ても、実際にその知識を使うためにBSやPLをみてみないとすぐ忘れそうだなあと。
そういう機会に自分を置いてみなくては。
今後少し株を買ってみようとか考えているので、ただ漠然と買うのではなくBSの純資産の欄を見てから買ってみようかな。
○読後メモ○
1.BS(貸借対照表)とPL(損益計算書)の見方が雰囲気程度わかった。
BS:ストック的。決算時の状態。資産と負債と純資産のバランスが見える。
PL:フロー的。1年間という幅のある期間の状態。1年間のイン・アウトの結果を示す。
・BSについて
資産が左側。負債と資本が右側。
資産(左側) = 負債(右側) + 純資産(右側)
純資産の多い企業が安定した企業と考えることができる。
・負債と出資について
貸付:期限付きで、いつまでにいくら返すと決まったもの。返済義務あり。
金を出す側が「利息」を得るもの。ローリスク・ローリターン。
出資:お金を出してあげて、儲かれば一部見返りを受け取る。株式とか。
金を出す側に「配当」を得るもの。ハイリスク・ハイリターン。
・国の借金1000兆円のミスリーディングについて
バランスシートは単体で見るのではなく、関連会社も含めて連結バランスシートを見るのが通常のやり方だそう。
日本という国のバランスシートを考えるときは、日銀のバランスシートと連結して考えるほうが都合がいいらしい。
そうすると、負債が1000兆円あるように見える日本国のバランスシートは、日銀のバランスシートと合体することでほぼ0と考えることができるようだ。
日銀にとって、発行する紙幣は負債であるし、国債は金融資産。
逆に日本国にとって、紙幣は資産であるし、国債は負債。
そう考えると、紙幣を日本中にばらまくために国債を大量に発行して日銀に買わせているとだけ考えればいい。
なので、1000兆円をそんなに悲観する必要はないのだとか。
実際に1000兆円金が足りてないというわけではないので。
また、国というものを企業に見立てると、利益を出せない(出ても誰の懐にも入らない)ので、基本的に少し借金があるのが普通。
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復活の狼煙
こちらのブログは久々の更新。
メインブログは月1~2で更新しているが、こちらはなかなかねー。
月に数冊本を読んでいるので書評を書きつつ、思考をこちらにつらつら書いていこうかと考えた。
やはり知識はアウトプットしてこそだしなあと。
ということで、本を読んだらその感想と自分が考えたことを記載するブログとして再始動します。
乞うご期待。
金持ち父さん貧乏父さん を読んで
最初に書いておこう。これは良書だった。
金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学」を読んだ。
もう10年以上前からある本で、改訂版が2013年に出ている。
学生のころから存在は知っていたけれど、なんとなく手を出せずにいた本。
興味はあるけれど、なんかカネカネ言ってるみたいでなんだか読むのに気が引けていたというのもある。
しかし、社会に出て働き始めて、少しずつ貯金もできてきたけれど、果たしてこのままでいいのだろうか、という漠然とした不安も感じる。
お金は持ってるだけでは増えないし、むしろインフレが起これば価値が下がってしまう。
額面上の数字は減らないけれど、価値としては減ってしまう。
なんだかそのままでいいのかなと。でもどうしていいかわからんしなあ。
冷静になってみると、意外とお金というものの考え方、取り扱い方について知らないぞ、と気づいた。
きちんとお金、というものについて考えたことがない。
世の中お金が全てだとは思わないけれど、あれば嬉しいし便利。
ある程度のものごとはお金があればうまくいく。
お金が無ければ困るし不便。
だいたいのことはうまくいかないし制限される。
人生でできることの選択肢が大きく狭まってしまう。
その程度のことしか考えたことがなかった。
そこで手にとって読んでみることに。
結論から書くと、このタイミングで読んでよかった、と思った。
もう少し早くに読んでも良かったかもしれないけれど、お金というものに対する危機感や関心、これからの生き方を決めにかかっていない時期に読んだとしても、実感がわかなかったかも知れない。
ちょうど働き始めて半年、ぐらいの人が読むのにオススメだろう。
まあ読むのが遅すぎる、ということはないようにも思うが、できるだけ早いうちに読んだほうがいいと思う。
時間がまだあるうちに。
内容としては、いわゆる受験に成功し、大学に残り、そのまま働き続ける父親と、自分でビジネスを展開し、資産を形成する友達の父親のことについて書かれているところから始まり、どんどんお金に関する考え方、捉え方が展開されていく。
実際のテクニカルな稼ぎ方、とか、これだけ稼げばこうなれます、みたいな話ではなく、ただ冷静にお金に関して向き合った結果、そういう考え方になっている、といった印象だ。
ただお金というものについて書かれているというのではなく、お金と人生との関係、関わり方、ものの見方が書かれていて、なるほどと思ったり、そういう考え方なのか、という驚きもある。
とにかくどんな手段を使ってでも金を稼ぐのだ、それをどれだけ増やせるか勝ち組だ、というような欲にまみれた品のない内容ではない。
タイトルにあるように、これはお金に関する「哲学」なのだ。
全てに同意できるわけではないが、理にかなっている意見だと思うことがほとんどだった。
悪い習慣についてもたくさん書かれていて、自分が陥ってしまっている悪いループに気づけたりするし、できるところから変えていこうか、という気にもなる。
それはお金に関してだけでない。
結局は自己投資、自分の能力を高めるのが大事、といったことに関してだ。
ずっと長く昔から読まれているのがわかった気がした。
そんな内容だった。
これからも少しずつお金というものについて考えていこう。
生きる上では必要なことだ。
欲に飲まれてしまわないように、けれども忌避してしまうこともないように。
バランスをとってお金というものに対して向き合っていこう。
金持ち父さん 貧乏父さん、おすすめです。
人格的成熟度、というものについて
近頃、日本の大企業において人材を選ぶ際に、学力レベルや能力レベルが同じなら日本人よりも外国人を選ぶ傾向があるようだ。
理由は、日本人は外国人に比べて人格的成熟度が低いから、らしい。
これは割と日本に特異的な問題なのかもしれない。
確かに海外旅行をする際にも、現地の人や同じ宿に泊った旅行者たちと話していて、普通に社会情勢や政治の話が出てくるし、フクシマは大丈夫なのか、とかも聞いてくる。
なかなか日本ではそんな話をしない。特に初対面の人に対しては。
なぜ、人格的成熟度が日本は低い傾向にあるのか。
理由を考えてみた。
まず、どうしたら人格的成熟度が高まるのか。
自分が思うに、(社会や政治などの)正解のないことに対してはっきり意見を言えることが大事なのではないだろうか。
日本人はなかなか正解のない問いに対して話し合う機会が少ないように思う。
将来どうしたいのか、どんなことを普段考えているのか。
などなど。
そういうことを話すのには訓練がいる。
自分が何を考えているか、何を感じているかを理解していないといけないし、そういった意見を発言できる風潮や空気がが必要だろう。
そういう空気を生み出しにくい要素として、日本語の敬語や年長者尊敬(崇拝?笑)の精神が若干邪魔をしているように思う。
文化の違いと言ってしまえばそれまでだが。
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アメリカを例に上げる。
アメリカは年齢という要素の重要度が日本に比べてかなり低い。
年齢を気にしていない。
終身雇用などないし、どんどん皆が転職しキャリアを変えていくので、年上の部下ができることや年下の上司がいることが当然のように起こりえるし、誰もそれを気にしない。
年齢を理由に管理職になるにはまだ早い、なんて言うのは理にかなっていないと考える社会だ。
能力さえあれば年齢は不問だという空気。むしろ年齢は不問だ、ということを言うのさえおかしい雰囲気がある。
brotherやsisterという単語をとっても、日本語の兄弟や姉妹のように年齢の上下をあらわすことばを使わないのがわかる。
また、日本のように敬語が厳格ではないのもあるかもしれない。
丁寧に話したいときはそれなりの話し方があるが、日本語ほど重要視されていない。
非常にフランクに話せる。
旅行中でもそういったことを感じる。
同じ宿に泊まった人たちと気軽に話をして、言いたいことを言う。
だれもその言葉遣いなんて気にしていない。
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そのことによって、年上のひとにものを言いにくいとか、意見を良いにくいということが少ないのかもしれない。
どんな年齢でも、おたがいに一人の人間同士として意見を交わし合う。
確かに18歳と60歳ではものの見え方や経験が違うからそれは立場のちがう意見として話すことはあるだろうけれど、例えば30歳と35歳だったとしてそこには言葉遣いの差も発言力の差もないだろう。
そういう空気も人格的成熟度に関与するだろうし、若くして成熟した人間になるための経験や責任ある仕事を任されるのかもしれない。
これからはもっと正解のないことについて話しあったり意見を交わす風習や機会が必要かもしれない。
今の日本では飲み屋で酔いちくれた人たちぐらいしかそういうことを話していないかもしれない。